胸張れる話題ではないけれど。 日記 2011年12月25日 何でこんなテーマ選んだろうな自分…と、思い悩む。 ううん、うーん。まあこういうことなんだけど。 卒論のテーマに他人と私の距離感について考察してみようと思ったんですが、 資料を読むたびにげんなりする…なと。 現代の子どもは命の大切さやものの大切さを知らないから執着心が少ない、とか。 ああなるほどなぁ、と思った。 でも自分はお金もちではないんで物を買うときは時間が許すままに必要かどうかを考えるし、当然気に入ったものを持つわけだからものがなくなったりしたら物凄くヘコむ。 私の学校は比較的みなさん物を大切に…してない人もいますが。 もうね、よくないと思います。与えられすぎだと思います。 でも命の大切さとかはああ、と思った。 ゲームで直ぐに死ぬとか見るし、なんというか、余り言いたくないけど。 死を神聖化している節もある。 アニメの影響なのかわかんないけど、自分の生が死によって償われるとか。 分からないわけじゃないけど悲しくなります。 でも死んだら全て終わりやん…いつ交通事故に会うか、はたまた地震で死ぬか。 分からない世の中なんだし命を大切に、毎日を全力に生きればいいと思うのですが。 命や物に関して以外にも最近は『大切にする』という感情に欠けてると思う←ココ本題! 人と人とのつながりに関しても、「今だけの仲だから特に気を払う必要はない」とか。 そういうんじゃなくて、なんていうのかな。 他人にした優しさが自分に帰ってくるという幻想は持つべきじゃないけど、 他人にした冷たい対応が自分に帰ってくることはあると思うんだな。 それに自分への利益を考えて他人に尽くしたりするのは間違ってる。 だから強要して「他人本位で生きろ」とは言わないけど、 他人という存在は自分の中に変革をもたらす要因をもつ、いわばきっかけの一つで、 自分という存在のみでは「自分」は成長はできないと思うんだ。 後退はいくらでもできる。考え尽くせば考え尽くすほど自分だけの認識で物を決めるようになってしまう。 でもそんなんじゃダメだと思うんだ。 だから自分の大切にできるものを大切にする努力が必要なんだと思う。 例えば他人に対する気遣いだとか、友達に対する言動だとか。 交通ルールでもあいさつでも仕事でも家族への対応でも。 何かを大切にするっていうのは面倒なことじゃなくて、 大切にできる何かがあるっていうのは幸せなこと。 その幸せを踏みにじって表面上だけのメッキの幸せだけをお互い塗りあうっていうのは随分馬鹿なことしてるなあと思う。 自分に大切にできる何かを気づくことができるのはその人次第で、 それに対してどういう対応をしていくかっていうのは自分次第。 でもちょっとのことでいいから大切なものを「大切に扱う」を行動してみると世界も昨日よりは鮮やかに見えるんじゃないかなと思います。 って、偉そうなことを言ってみる。笑い。 [1回]PR