話がズレてしまう。 日記 2012年01月27日 夜光さんコメントありがとうございます* 返信はコメントを残した記事のコメント欄でお返ししてます! 話がズレてしまうなぁ、という日記。 話が友達とズレてしまうのは私に語彙力とコミュニケーション力が足りない所為と自覚しておりますが、実際私だけの問題でもない気がするのです。 というのは以前小論文の練テキストで添削してもらえる小論文を制限時間つきで書いたときの出来事です。 確かテーマは「労働の価値」でした。 要約すると労働というのは『贈る』ためのもので人間の営みを豊かにし、労働の成果を他人から得ることで存在に確信がもてる、みたいな…曖昧ですが。 その小論文は私的には、なるほどと思う反面それを他人と自分の関係に置き換えるか、無理があるような。という感想でした。 ですが「労働の価値」については原理説明はなるほどと思ったのです。 友人はその小論文に「労働の価値」をまず否定し「労働より別の行動の価値」について説いたそうです。 悪くないとは思うのですが、なんだか…ズレているような。いや、価値はあってるけどね。 もちろんわたしは小論文のプロではりませんし、普通の人からしたら「当然そんなもんでしょ。」と思うかもしれません。 でもこれって「ガンダムの存在価値」について話す軍人に「ガンダムより国民の命の価値」について話すくらい関係ないと思いませんか? 突拍子もない例に意味わからん、と思うかもしれませんが、つまり私が言いたいのは。 相手の話に即さず、相手を否定してから自分のしたい話をしているという点です。 特に私は相手に喧嘩を売っているわけではありません。 友人に「ちょっとそれってズレてない?」と言うと憤慨した様子でした。 テーマに即していないんじゃないか、という指摘に対して「私が何を書こうが関係ないじゃない」という態度でした。 確かに私に関係はないけれど…指摘した程度でそんな自分全部否定された!みたいな怒り方しなくてもいいのに。と、相手の気持ちを傷つけながら思ってしまったものです。 友人の話に対してあるワードで別の話を思い出したとき、友人に話をするのは構わないと思います。 それが日常のふとした会話なら。話の発展、話の転移という見方として。 ですが議題のある場でワードで話を発展していくと議題から大きく離れすぎてしまうのではないでしょうか。 最早議題など最初から存在しなかったのだ。議題は犠牲になったのだ…。 ということになりませんか? スイッチのオンオフのように「議題に即した話」をする時と「たいした議題もない世間話」の時と話の発展について考えてみるのはどうでしょう。 と、思った。 まあ話しのズレなんて誰にでもありますよね。私のズレかたはピカイチですがね。 久しぶりに敬語で書いてみましたが、改まった気になりますね。 身が引き締まるというか。~である口調だとどうも威張り腐っているように見えてしまうのは私だけでしょうか・・・。 [1回]PR