戻って来れなくなる 日記 2011年09月17日 どれだけ考えても及ばない考えとか思考っていうのはあると分かってるけど、 自分の天井を知ってショックをうけたいのか、 最果てというぎりぎりを知って満足したいのか自分でも分からないけど、 私は人間というものがよくもわるくもこうして地上に居る限り すごいなぁと感心するので比較的人は好き。 でも自分はあんまり好きじゃなくて、 自分がストレートにけなされることは黙認できるのに大切な誰かがストレートにけなされると黙れない。 その逆に間接的にけなされると苛立って誰かが間接的にけなされていることに気づけない。 人の嫌味に鈍感なほうですが、その人の表情や言葉の含みに『嫌味』を感じて嫌味と判断することの方が多い。 天然装って嫌味を含んで話すのは果たしていいのかわるいのか私は判断する基準がない。価値さえない。 自分の思うがままに言葉を発して意見を感染させていくのはいいのかわるいのか。 誰かを考えて言葉を返すことは本当にその人のためになっているのかいないのか。 それは人によって『価値』なんてものは違うし、 『価値』という言葉を端的に万物にあてはまめて話せるほど私は文章力も経験もない。 でも自分の『価値』を相手におしつけるようにして、正義みたいな面して話すのは好きじゃない。 自分ものさしの『価値』が存在するだけでアイデンティティは確立しているんだから、 そういう人に対しての酷評はいかがなものかと思われる。 正直相手に強く干渉していいのは二次元の主人公までだと思ってる。 でも現実世界私の目から見て『押し付け』ばかりの『価値』ばかり目にする。 あれそれが嫌い、好きの一言から始まって あなたは戦争について反対ですか賛成ですかまで多種多様に。 自分の『価値』をあたかも一般論のように当てはめて話す人に恥ずかしさを憶える。 もしそれが自分だったら、 相手に『その考えは一般的ではなく専門知識にかけた浅はかなもの』と思われていたらと思うと穴に入りたくてたまらないほど恥ずかしいと思う。 この恥ずかしい『価値』について一言述べるべきかいや、誰かが言ってくれるだろうと自然に身を任せるべきなのか私は答えが見つからない。 とりあえず大切な人でこれからの未来でその人にマイナスになるようなことになってほしくない。と思う人にはいうことにしてる。思わない人にはひたすら黙っておく。 どうせ思わない人にそんな話をしても伝わらないし、自分の『お前恥ずかしくないの?』という明らかな敵意が空気のように伝わって相手を不愉快にさせてしまいそうだから。もっともな理由だ。 間違っても勘違いしてほしくないのは私は誰でも全ての人の価値にそう思ってるわけじゃなくて、 その場限りの思いつきのような『価値』にたいして言ってる。 経験の少なさが伺えるような発言や何度もその議題について考えて練り直しているようなことを感じず、 相手に自分の意見を押し付ける意味での言葉の鋭利さ、理性を伴わない本能のみの判断。 とくに恥ずかしさを憶える価値というのは本能のみの判断で、 例えば私のような顔が整っていない人をみて「気持ち悪い」「不細工」「グロイ」など思うことについて。 思うことはかまわないと思う。多分周りの人がみてそう思うなら本人はより一層感じているはず。 または感じていたがポジティブになっている。まぁそれはいい。 その本能の判断を理性の判断に切り替えると 「人は顔じゃない」とか「笑うと可愛げがある」とか「中身はまぁまぁ外見はノーコメント」とか色々在る。 そこに理性が伴うだけで人と人との衝突を避けるような丸い言葉になる。 少なくとも高校生くらいからはそういう理性を伴った判断を口にしてもいいんじゃないかなと思う。 けれどはっきり言って、 理性の判断をしている人は大人でも少ない。 言葉だけじゃなくて行動でも。 例えば、 「はやくもくてきちにいきたい」 でも「こうつうるーるはまもらなきゃだめだ」 →信号があと少しで青になりそうだ、少しずつ少しずつフライング。 少しずつ会社のお金を横領するようなせこくて本能的な人を連想させる。 キャッチコピー「待て、ができなくなった大人。」 もう穴に入りたいくらい恥ずかしい。小学生の前で平気でするから困る。あれなんだろって小学生がみてるからまた恥ずかしい。なんであんなことできるんだろう。 と、思う。私は。 他にも色々と本能オンリーな言動があるけど、これ以上文章のびるのは勘弁なのでスルー。 まとめていうと『価値』というのはその人その人が持ってるアイデンティティであり、 その『価値』に評価を出すのも否定して自分の『価値』を押し付けるのも生物多様性しかり間違ってるし、 『価値』の判断基準として本能的な判断と理性的な判断の理性的判断を表面上だけでも取り繕うべきだし、 本能的判断を使えるのは咄嗟のときや強く主張したいときだけだと思ってる。 だから間違っても 「誰か」の「価値観」を真っ向から「否定」することは「推奨されるべきでな」く、 その「誰か」がたとえ「年下」だろうと「アイデンティティを確立した一人間」に対する「否定」は 「その人の否定」につながるから、 駄目、絶対と思ってる。っていう話。 ただその人の否定の前の段階でその人の『価値』について十分な理解をし、 自らの経験と知識をもって「否定」を選びその人を思ってのことならいいと思ってる。 なんとなく感じて断片的に理解しただけなのにその人の『価値』を分かった顔して否定するのは、 まったく器が知れる奴だってこと。毒気多すぎるかな。 [1回]PR